先日、ジャームッシュ監督の「ミステリー・トレイン」についてご紹介しました。
ミステリー・トレインについての記事はこちら▼
寂れたメンフィスの街が妙に色っぽい〜ジムジャームッシュ「ミステリー・トレイン」
今回は、ジャームッシュが大学在学中に作ったデビュー作「パーマネントバケーション」についてです。
ざっくり概要
簡単にまとめると、「ニートの主人公アリーがニューヨークの街をぷらぷらほっつき歩く」という物語です。
シャッターの前に立ち止まり、手に持っていた落書きスプレーを振りかざすアリー。
そこに書かれた言葉は、“ALLIE IS TOTAL BLAME”「アリーはトータルにイカれてる」
そんなシーンから物語はスタートします。
自分に惚れているであろう女性の家でヒモ生活をしたのち、しばらく会っていなかった母親に会いに行きますが、精神病棟で再会した母親は完全に頭がおかしくなっていました。
街で出会う、空襲に未だに怯えている元軍人、廃墟のような場所で一人にやけながら口ずさむ女、「ドップラー効果」という言葉を連呼し笑い続けるおっさん。
どれも皆まともじゃない。
途中でパクったオープンカーを売飛ばし、その金で次なる場所(パリ)へ旅に出る。
映画はここで終了します。
この映画について
この映画もきっと賛否両論になるんだと思います。おそらく、大多数の人はこの映画を「ク◯つまらない」と言うのかもしれません。
ただ、私はこの主人公アリーの生き方に共感を覚えます。
なんというか、今まで誰にも理解してもらえなかったものを、この映画が代弁者になって全力で表現してくれている感じ。
冒頭で彼は次のような自己紹介をします。
「これは僕の物語の一部であり
全てを伝えることはできない
物語というものは点と点を結んで
最後に何かが現れる絵のようなものだ
僕の物語もそれである
僕という人間が
ひとつの点から別の点へ移る
だが何も大して変わるわけじゃない
僕はいろんな人とつき合い、一緒に暮らし
彼らの行動を見てきた
それは
一連の部屋のようなものだ
どの部屋も人間と似ている
新しい部屋は最初は物珍しい
ランプとかテレビとか…
だがやがてその珍しさは
消えて
嫌悪がじわじわとしのび寄ってくる
こんな話きっと分かってもらえないだろう
とにかくしばらく時間がたつと
声が聞こえる
”終わりだ 出て行く時だ”
”よそへ行け”と
人間はみな同じだ
冷蔵庫やトイレの形が多少違ってるだけだ
声が聞こえたら
漂流を始める
去りたくなくても従わなければならない
今いる場所は言葉すら通じない
だが他人は結局他人だ
今僕が語ってる物語は
そこからここ
いや ここからここへの話だ」
*劇中のセリフ通りではなく、一部要約や表現を変えています。
「最初は目新しい。しかし、しばらく同じ場所にいると嫌悪が忍び寄ってくる」
以前から同じような感覚を持っていた私も、同様に仕事や職場、住む場所などをコロコロ変えてきました。
同じ会社で長く働かなきゃだめ、早く身を固めなきゃだめ、地に足をつけてなきゃだめ、我慢しなきゃだめ…
このような価値観を押し付けられて育った私には、みんなと同じように生きられない葛藤がありましたが、この映画を観てこういう価値観もアリなのかもしれないと自己肯定をするきっかけを与えてくれたのがこの映画でした。
筆者「ぱらげ」の放浪っぷりについて書いている記事はこちら▼
【業種変えすぎ】ぱらげ(私)の仕事歴について
それから、ヒモとして同居させてくれている彼女が、アリーにこんなことをいいます。
「私は孤独に飽きたわ」
そんな言葉にアリーは、
「みな孤独さ。だから僕は漂流する。イかれてると言われても漂流してれば孤独でないと思うことができる。本当に孤独と感じるよりマシだ」
私も含め、多くの人が恐れているものが孤独なんだろうと思います。孤独にならないように、群れたり、家族を作ったり、必死に仕事をしたりするんでしょう。
誰もが目を背けたくなる、けれど必然的なものに対して、超まじめに自分一人で自分の意思で冷静に対処しているという点に「すげー」ってなるのです。
付け加えて、最後の鮮やかな窃盗シーン。
パリ行きの船に乗り込む際のアリーのセリフ、
「家も仕事も税金も、僕とは無関係。去るといた時より懐かしく思える。言うなれば、僕は旅人だ。終わりのない休暇だ。」
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