ぱらげです。
30代子持ち女である私が、
・給料高い
・フリーランスでリモート勤務できる
・すぐになれる
と言われている職種「Webエンジニア」を目指してから1年が経過しました。
まるで「安い・早い・美味い」の謳い文句のようですが…
結論から言ってしまうと、この1年間での手応えはかなり感じています。
常駐勤務ではあるものの、独立してからの収入は一気に右肩上がりになりました。
また、「すぐになれる」というのも半ばでまかせではなく、未経験でも「エンジニアです!」と勝手に名乗ってどこかの開発現場に乗り込んでいくことも、仕事を獲得することも不可能ではないからです。
しかしながらこの1年間は本当に激動の年でした。
そして、本来技術力が問われる現場で右も左もわからず爆死(現場退場)しそうにもなりました。
色々あったにせよ、「なんとか生き延びられた?」感が強いこの1年を振り返ってみようと思います。
2018.11~12月 準備
・Mac購入(保障など込みで25万円ぐらい)
・プログラミングスクール選定
・プログラミングスクール受講料振込(3ヶ月30万円)
・前職退職
など準備をしました。ちなみに貯金は0円だったため、かかった費用や無職期間の生活費などは全額カードローンを利用しました。要するに借金をしました。(絶賛返済中)
2019.1~3月 プログラミングスクール受講
使用言語
・PHP(Laravel)
・Javascript(jQuery)
・HTML/CSS
環境
・MacOS Mojave
・Atom
内容
受講中のカリキュラムはこのような感じです。基本的にオンラインで行い、エラーなどで詰まってしまった場合は渋谷の教室に通っていました。このスクールでは言語をPHPかRubyの2種類から選択する形を取っており、フリーランスになっても比較的仕事がたくさんあると言われるPHPを選びました。
1.HTML/CSS
2.PHPの基本的な構文
3.GitHub
4.Laravel(PHPフレームワーク)
・掲示板作成
・デプロイなど
5.jQuery
6.ポートフォリオ制作
・旅行情報検索システム
テキストを進めながら少しずつ知識をつけていくスタイルでした。
各章をこなすごとに課題が設けられていて、HTMLやCSSについてはこれまでに少し経験していたためあまり難しくありませんでしたが、2以降についてはプログラミングという概念が絡んでくるため、感覚を掴むのに苦労しました。6はこれまでの学習経験を利用して、自由に作りたいwebアプリを作るという章でした。
感想
借金までして受講していたということもあり「だらだらやらない」と肝に命じながらカリキュラムを進めていました。「金なし(もはやマイナス)、職なし」という状況で焦燥感にかられていたからこそ、朝から晩までがむしゃらに取り組めていた気がします。というか取り組まざるを得ない…
2019.3~4月 仕事探し→就活
ポートフォリオ制作と平行して、仕事探しを始めました。
「たった3ヶ月で在宅フリーランスエンジニアになれる」と某プログラミングスクールの宣伝広告さながらに信じ切っていた私はまずここで衝撃を受けます。
「未経験からフリーランスエンジニアになるのはとてつもなく厳しい道であり、仮にランサーズなどで仕事を取れたとしても単価が安くて生活ができない」
そんなことないよ!という方も中にはいるかもしれませんが、その当時の私はスクールのメンターさんなどから意見を聞きそのように解釈しました。
単価の安い仕事を少しずつ受けて実績を作っていくという選択肢ももちろんありましたが、今後いつまで続くかわからない不安定な生活に飛び込めるほどの覚悟や勇気はありませんでした。
ということで一旦雇用形態はどうであれエンジニア転職をすることにし、試行錯誤しながら就職活動を始めました。やったことを以下にまとめます。
・スクールと協定を結んでいるエージェント「Tech Stars」に登録
・企業SNS「Wantedly」に登録
・エージェントに登録
1.レバテックフリーランス
2.リワーカー
3.リクルートキャリア
4.3スタ
何社応募したかは忘れましたが、かなりの数だったと思います。
未経験でも雇ってもらえる企業(受託開発やSES問わず)に重点を置いて受けていましたが、あまりに不採用の連絡が多く、途中で自分の目指すものがわからなくなってしまった時期もありました。
一時、諦めてエンジニアではなく過去の経験職種であるWebディレクターの案件を受けたりも…
最終的にWantedly経由でスカウトメールを送ってきてくれたSES企業に内定をもらいました。直々に面談してくれた社長さんはなんと22歳…!それなのに社会経験と行動力がありすぎて貫禄がすごい…
2019.5~7月 製薬会社業務支援システム改修
内定はもらえても案件獲得までこぎつけなければならないSES…
何社か面談してようやく合格が出た先は品川マイクロソフトビルにあるシステム開発会社でした。
使用言語
・C#
・JavaScript(jQueryも使ったり、使わなかったり)
・VB.net
・SQLserver
・高速屋DB
・HTML/CSS
環境
・ASP.NET(WEBフォーム バージョン2.0)
・Visual Studio
・Windows10
開発手法
ウォーターフォール
内容
既存システムの改修作業でした。自分の担当したところを以下にまとめます。
・単一式プルダウン選択からダイアログを表示し複数選択を可能にする処理
・新たに選択項目用の画面を用意し、DBから項目を取得
・支店等の絞り込み検索機能
残業時間
平均2時間(これ以上は保育園が預かってくれない)
感想
これまで学んできたPHPはまったく絡んでいない案件で、当初C#もSQL文もまったく知識のない実務未経験の私がよく合格できたなと思います。
まず現場入りしてから1ヶ月間は既存ソースコードの読解だけで開発はなし。
先方の都合で環境構築が遅れているにも関わらず納期は変わらないという、未経験の私でさえきな臭さを感じずにはいられない現場でした。
いざ開発が始まったと同時に、ぶち当たりましたよ…最初の壁に。
「ダイアログを表示させ→DBに接続し項目を取得→チェックした複数項目の値を親画面にセットする」
ASP.NETの癖を理解するまでに時間を要し、この一連の動きすら実装できないんです。
あーでもないこーでもないともがいてみても、進捗はまったくなく時間だけ過ぎていく状況。
“せめて今日は少しでも進捗を進めて帰る!!”
という意気込みは虚しく、延長時間さえもギリギリで走って子供を迎えにいく日々。
とうとう所属先の若い社長に泣きつきながら「もう辞退したい」と訴えると、それに対して返ってきた回答は
「ぱらげさんがロースキルどころか未経験なのは現場担当者も知ってるので、そのままで大丈夫っす。とりあえずデスク座っててください」
あまりにあっけない回答で励まされたのかなんなのかわかりませんでしたが、言う通りに翌日も出勤。
すると、哀れで無様で痛々しい私を見かねた同じチームのベテランエンジニアのSさんというおじさまがその日早めに出勤していて私の詰まっている箇所を解決してくれていました。
泣きました。
普段は物腰の柔らかいおじさまなのに、その瞬間超絶かっこいいスーパーヒーローもしくは神に見えました。
惚れてまうやろー!!!!!
それからは少しずつコツを掴んできて、たまにそのおじさまに質問しながら(もはや依存しながら)なんとか自分の担当箇所の進捗を進めていくことができました。
最後の方はもはや「C#完全に理解した!!!!!」とまでは言いませんが、
はじめの頃では想像もできないような、まるで神が降臨したかのようなコーディングさばきだったと自負しています。←
先方都合での開発開始時期の遅れや度々の仕様変更があったにも関わらず、納期を延長してもらえないという状況で案件自体が炎上しかけていて、毎日PMと先方との闘いメールは深夜3時頃まで繰り広げられていました。
毎日行われるミーティングで進捗を聞かれ、PMからもっとスピードを上げろ的なことをお決まりのごとくチクチク言われてはいましたが、この期間で伸びたスキルとプログラミングの楽しさを実感していたのでそれほど気にしてはいませんでした。(気にしろ)
出来事作文のようになってしまいましたが感想をまとめると、
「おじさまに救われた」
の一言です。
おじさまがいなかったらおそらく私は爆死していたでしょう…
2019.8~2020.3 社内システム運用& VBAツール開発
同じく場所は品川。ロースキルがゆえに当時なかなか開発案件が見つからず、ドキュメント作成がメインの社内システム運用案件に決まりました。途中から開発もやらせてもらえるように…
使用言語
・VBA
・Javascript
・PostgreSQL
環境
・Excel2016
・Intramart(Javaのフレームワークだが基本的にドラッグアンドドロップで開発ができるツール仕様)
・Windows7 & 10
開発手法
アジャイル
内容
Office365の社内システム担当者の引き継ぎがてら、設定値書き写し、維持項目の整理、問い合わせ対応などをしました。
途中からIntramart開発チームと一緒になり、付随するVBAツールの実装部分を単独でやらせてもらいました。
残業時間
平均30分程度。
繁忙期は1時間〜1時間半程度。
感想
現場に入りたての頃は、1日中エクセルにキャプチャ画像をペタペタ貼ったり、設定値を書き写したりする作業でした。せっかくプログラミングスクール通って自己投資してエンジニアになったのに、資料作成ばかりで憂いたりもしました。ただ、そうやってふてくされながらでも淡々と作業をこなしていたらそのうちチャンスが訪れたりするものです。
当時のことを書いている記事↓
ブラウザのデータをエクセルに書き写す作業がものすごく退屈だったので、VBAで一部のデータを自動取得したりいろいろといじって遊んでいました。
それがきっかけになったかはわかりませんが、今までお客様先である情シス部門が手作業でやっていた、社内アクセス権限の棚卸し作業を自動化するツールの開発をやらせてもらえることになりました。言語はVBAです。VBAを甘く見ない方がいい…
環境構築がいらないVBAは気軽に導入しやすいしネットにごろごろ参考サイト転がってるしで利用しやすい言語といえます。
ただ、ベテランエンジニアのOさん(見えないけど2児のパパ)の要件定義が複雑すぎて、設計、実装までなかなか漕ぎ着けられないという状況でした。頭がこんがらがって質問すると「だーかーらー」といった具合で半ギレのOさんからいつもレクチャーを受けながら進めていくといった感じ…
OさんのSっぷりに耐えきれずに泣いたこともありましたし、逆にこちらが逆ギレすることもありました。
今思えば、開発中の期間はなんだかんだで没頭できて楽しかったしOさんも根はいい人だということは知っています。
ここでは開発期間よりも社内システム運用期間の方が長かったかなという印象ですが、チーム一人一人が優秀なのにキャラの濃い人たち(無駄にいじめてくるくせに最後はフォローしてくるOさん始め、ぷしゅーっ!!と突然叫び出すPMのSさんやお昼ご飯食べないゲーマー兼敏腕女性エンジニアのYさん、声量でかめなイケメン新卒Nくんなどなど)ばかりで、そういった意味でも楽しめた現場でした。
あとアジャイル開発を経験できたり、前回の現場では経験できなかったテスト項目作成から結合試験までの一連の流れに携われたのは大きかったです。
開発チーム(ただし規定フレームワーク)での延長の話もいただきましたが、フリーである私にとってはおそらくどこの現場でも通用する汎用的なフレームワークや言語のスキルを高めた方がよさそうという結論に至り、次の現場に行くことにしました。
余談
SES企業内定〜フリーランスになるまでの経緯
内定当初、最初の6ヶ月間は契約社員でそれ以降は正社員扱いになり数万円の昇給もある。ということになっていました。
その契約期間が終わろうとしていた段階で社長と飲みに行った際、正社員になるかフリーランスになるかという選択を迫られます。バックオフィスの負担軽減などの兼ね合いで、フリーランスになってもらいたかったのでしょう。フリーランス推しということで百戦錬磨の卓越した営業トークを繰り広げられました。
まだ半年しか実務経験がない中でいきなり独立することに少し不安は感じましたが、そもそもフリーランス(リモート勤務前提だけど)を目指していたし、このタイミングでも別にいいか…という感覚で独立に至りました。
何より、正社員の月給額よりもフリーランスの方がはるかに手取りが多くて魅力的に感じてしまったのもあります。
フリーランスになって数ヶ月たちましたが、あのままフリーランスになっておいて今は正解だったかなと思います。現在も新型コロナで景気が悪くなっているというニュースも見かけるし、そういった状況ではフリーはリスクが高いと言えますが、税制上の知識であったり、自分を律する力であったり、そういったものが少なからずつくのではないかと期待しているからです。
そして何より自由!
現在は常駐勤務というスタイルで実質サラリーマンと同じような働き方ではありますが、自分の意思で案件であったり参画タイミングを決められるところに早速メリットを感じています。
例えば次の案件参画まで半月ほど休みをとって気兼ねなく長期の海外旅行に行くといった計画が柔軟にできるようになったり。
この自由さは今の私にとっては大きなメリットになっています。
帰宅後の家事育児について
仕事内容などについてつらつら書いてきましたが、同時に見過ごせないのが自宅での家事育児。
これに関して言えることは「定時退社にこだわる」の一言に尽きると感じています。
毎日同じ時間に退社することで自宅での過ごし方もルーティン化しやすく、定時退社することで比較的時間に余裕が出ることも家事育児をする際の心の余裕と繋がっていきます。
あとは、家事についてはいかに無駄な作業を省くか、いかにサボるかが重要と痛感してきました。
旦那の職業柄夜に家にいないことが多く、送り迎え含めほとんどワンオペ育児状態です。
毎日2時間ほど残業していた1つめの現場では、うちに帰ってきても時間の余裕がまったく無く、常にイライラしながら子供を急かしていました。とにかく自分が早く布団に入りたい一心で。
ある日実家に帰った時、私と居る時と私の母と居る時の娘の態度が全く違うことに気づきました。
自分と居る時はおびえるような素ぶりを見せていた娘が、ばーばと居る時は幸せそうに笑いながら思いっきり遊んでいて、やるせない気持ちになった記憶があります。
2つめの現場は比較的残業が少なく、帰ってからも多少は自宅でゆったりできる時間がありました。食事は保育園で済ませてくるので料理する必要はないですが、少なからず1社目と比べると、時間に余裕があることによって入浴や着替えなどの育児も丁寧にできるようになるんです。子供も前と比べ、自分に対して自然に接してくれるようになりました。また、寝る前に自分の時間が取れるようにもなりました。
今後に関しても不必要な残業をするぐらいなら、社内の目を気にせず極力定時退社を目指したいところです。あとは、たまには予定がなくても休みをいれておいて、自分の好きなことをひたすらしたり、子供と出かける日を作るというのもアリだと思ってます。マッサージ行ってぼーっとしたりとか。
副業について
主に土日ですが、小遣い稼ぎに副業を募集していたりします。割となんでも屋です。(経験したことない仕事でもとりあえず受ける派)
ただ、この1年で実際に獲得できた仕事は飲み友達からの依頼でLP制作1本のみ。あとは自宅近くの小さな小売店での楽天ストア流入コンサルで、これは事前調査含めタダ働きしただけで実際の依頼には繋がりませんでした。このペースじゃ堂々と副業してますって言えないですね…
次の現場について
前回の現場のリーダーさんに繋いでもらい、豊洲の関連会社で業務効率化支援をすることになってます。主にエクセルを手作業で使い倒している現場だそうで、それをVBAで自動化していく作業です。
これまでの現場と違うのは、担当部署に私以外のエンジニアがいないということ。
技術面で質問できる人がそばにいないということに強烈な心細さを感じるし、自分で全て課題を解決していくことが求められるでしょう。おじさまも召喚できません。新たな試練かもしれません。
振り返りまとめ
こう1年目を振り返ってみると、社長やおじさまはじめ本当にいろんな人に支えられてきたんだなと痛感しています。また、技術面はもちろん、相手への切り返し方だったり言い回しだったりのソフト面でもだいぶ勉強させてもらったなという感じです。
ただ、せっかくLaravelを勉強したのに現場で一切使うことがなかったので、次の現場が落ち着き次第Laravelを実務で経験してみたいとも思います。
今後叶えたいこと
海外プチ移住というものに興味があり、3ヶ月ほどバンコクやマレーシアなどの海外で生活しながらじっくりとその土地の文化を楽しみたいと思っています。
そのためにも徐々にフルリモート案件の仕事を獲得できるようになっていたいです。今のところリモート案件がたくさんあるクラウドテックに登録済みですが、「フル」リモートというのはなかなか多くないようですね。誰か仕事ください。
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